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宗教音楽の演奏について [音楽]

たくさんの素晴らしい宗教音楽(キリスト教会音楽)♪

モンテヴェルディ、ペルゴレージ、ヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルト、ブラームス、フォーレ、 etc・・・ 優れた作曲家たち♪

バッハ:マタイ受難曲

バッハ:マタイ受難曲

  • アーティスト: クレンペラー(オットー), フィルハーモニア管弦楽団, フィルハーモニア合唱団, シュワルツコップ(エリザベート), ルートヴィヒ(クリスタ), ゲッダ(ニコライ), ピアーズ(ピーター), ディースカウ(ディートリヒ・フィッシャー), ピッツ(ウイルヘルム), バッハ
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 2002/03/06
  • メディア: CD

 

フォーレ:レクイエム

フォーレ:レクイエム

  • アーティスト: クリュイタンス(アンドレ), パリ音楽院管弦楽団, フィッシャー=ディースカウ(ディートリッヒ), アンヘレス(ヴィクトリア・デ・ロス), エリザベート・ブラッスール合唱団, ピュイグ=ロジェ(アンリエット), フォーレ
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 2002/03/06
  • メディア: CD

私は、宗教曲の響きの美しさや、メロディーの美しさに惹かれて、歌、楽器(チェロ)で演奏してきました。でも、私自身は信仰心はありません。

最近、信仰心がないのに、宗教曲を演奏するのって、どうなのかな?と考えはじめ、答えが出せないでいます。特に、歌の場合は 歌詞が~。言葉の意味を調べたとしても、それを理解する(宗教曲はそれ自体難しいですね)、そして その歌詞に共感して歌うとなると、違和感を感じてしまうのです。

そもそもの始まりは、私が宗教曲を練習しているときに、「信仰心がないのに歌うのは、どうなのかな?」という 夫の意見です。なかなか痛いところをついています。彼の知り合いに美学それも宗教音楽に詳しい方がいます。宗教音楽と信仰心について、一度話しをしたことがあるそうです。

「音楽の演奏、特にコンサート形式の演奏については、曖昧なんだよね」 とおっしゃっていたそうです。プロの演奏家といえども、全員が敬虔なクリスチャン、ということはありえないですものね。「音楽はそこがいい加減?なんだよね・・・」といって苦笑いをしていたそうですが。

西洋の方たち(キリスト教が主な宗教になっている国の)は、敬虔なクリスチャンであるかどうかは別にして、生まれたときからの生活習慣として、キリスト教に馴染んで生活しています。私たちがことあるごとに、神社にお参りにいったり、葬祭の行事が仏式で違和感なく行われているのと同じです(もちろん個人差があると思いますが)。日本歌曲を歌うときに、歌詞の意味や作詞家の意図抜きで、勉強はできません。聴いて感動するときも、メロディーだけではなく、歌詞を理解しているのですよね。それはクラシックに限らない、童謡でも、演歌でも、Jポップでも同じですね。

そういうことを考えると、宗教に共感を持たず、歌う、演奏する行為は難しいのかな~ と思ったりして・・・

ただ単純に美しく好きな作品として、演奏し、楽しんではだめかしら?

以前にレッスンをしていただいた先生が

「こんなにテクニックについて厳しく教えていても、私が好きな歌手が技術的に特別優れているわけじゃないのよね~。」 また、「上手い歌手と人を感動させられる歌手が必ず一致するわけではない」 とも。ごもっとも♪♪♪

ならば、宗教にシンパシーがなくとも、コンサートとして演奏し、音楽を楽しんでもいいではないですかぁ!?加えて、聴衆がその素晴らしさを感じてくださるなら、それも音楽のあり方のひとつですよね~(無理矢理自分の方へ持って行く私・・・)

もちろん、最大限、曲を理解する努力あっての話ですけれど・・・

こんなこと、今更~とも思うのですが、ただなんとなく歌い、演奏しているのと、一度自分なりに納得してから演奏する のは、私の中で違うのです。

書いている内に少しだけ、もやが晴れたような・・・でも、もっと時間をかけて、いろいろと思考してみたいです。

イギリス滞在中、イギリスの人々はあまり宗教に共感をもっていないということを感じました。生活の中には、イースター休暇 や クリスマス休暇 それにまつわる食べ物、音楽など とても大切な行事として行われているのに。日本のお盆やお正月の行事も同じような感覚でしょうか?

優れた音楽作品として、洗練されて残ってきた宗教作品たち。心を込めて歌い、演奏すれば、かならずその気持ちは伝わる と思いたいです。 

 

 


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lalaloulou

西洋音楽をやっていると必ず突き当たる問題ですねー。
音楽の背景にある宗教や文化を知ってるか知らないかは、とても重要です。知ってしまうと、知らない事がとても恥ずかしくなりますが、
知らなくても「センス」である程度完成できてしまう場合もある・・。
そこが音楽の親しみやすさでもあり、難しさでもあるわけで。
最後は、自分が葛藤して理解しようとした過程が
大切なのではないかなーと思います。同じ意見ですね。
一方、研究しすぎて学者的な考えになりすぎると、不思議と音楽がつまらなくなるみたいですし~・・
by lalaloulou (2006-04-27 00:19) 

じゃすみん

こんばんは~。
私の子供たちは別の幼稚園に入園しましたが、両方キリスト教系幼稚園です。
おまけに上の子の時にはママさんコーラスに参加していたので、少なからず
宗教曲も歌っていました。
私自身家は仏教だし、子供にキリスト教系?っと言う気持ちも無きにしもあらず
だったのですが、今の幼稚園も上の子の幼稚園も何しろ近くて徒歩で行けた
ものですから。。。
でもそのとき思ったんですよね。
その宗教の深いところまで理解できなくても、たとえば感謝する気持ちとか
礼儀だとか、ご挨拶だとか、愛なんかは牧師さんの講演会なんかで
お話を聞くにつけ、なるほどと思うのです。
こういう気持ちで歌などにも取り組んだらいいのかなと。
幼稚園を離れた上の子はまったくキリスト教から離れてしまっていますが、
そのとき受けた先生からのご恩などは忘れていません。
そういう気持ちを大切にすることも一種の信仰を理解することなのかも
しれないなと思うのです。
by じゃすみん (2006-04-27 00:58) 

Cecilia

私はクリスチャンなので、当然「神に捧げる音楽」という感覚がありますが、スザンナさんがおっしゃるように単純に楽しむのもありだ、と思っています。
私の大好きな米良さんもキリスト教の音楽をたくさん演奏していらっしゃいますが、彼もクリスチャンではありません。むしろ、神主さんになりたかった、というほどの「神道」的な考え方を持っていらっしゃいます。ですが、例のマタイのアリアにしても「主よ、憐れみたまえ。」という心境で歌われたそうですが、偉大な音楽には宗教という枠組みを超越した力があると私は思っています。
でもこのように疑問を持ちながら、「納得して歌いたい。」というスザンナさんの姿勢は本当に素晴らしいです。たいていの人はそこまで考えないと思います。
by Cecilia (2006-04-27 01:31) 

Lavio

私も時々考えます、しかし、やはり、ただ単純に美しい音楽として、演奏し、作品の偉大さをかみしめています。演奏する時は、作品の背景とか多少は勉強します。宗教音楽も、モーツァルト、ベルリオーズ、ブラーム、フォーレのレクィエム、ベートーヴェンのミサ・ソレムニス、プーランクのスターバト・マーテル等々演奏してきました。
日本人と西洋音楽、いつも直面する問題ですよね。
でも、「優れた音楽作品として、洗練されて残ってきた宗教作品たち。心を込めて歌い、演奏すれば、かならずその気持ちは伝わる」、これに私も賛成です。
by Lavio (2006-04-27 06:22) 

ますみ

フォーレのレクイエム、まさしくこのCDを所有しておりまして愛聴しております。
歌詞の意味などまったくわかりませんが、というか覚えようという努力をしておりませんが、その美しさは共感できるものだと思っております。宗教にまつわる話は西洋音楽を理解する上で避けては通れない問題ではありますが、音楽に対して「理解する」という言葉自体がおこがましいような気がしておりまして。感じられればいいのかと開き直ってもおります。そういや私、英文科出身なんだからもう少し理解してなきゃいけないはずなんだけど・・・。
ちなみに先日もキリスト教の集いで演奏したのですが、「アメイジング・グレイス」など歌詞の意味とは関係なく音楽的効果だけを考えて演奏しておりました。
by ますみ (2006-04-27 09:57) 

スザンナ

☆lalaloulouさん、こんにちは。
「最後は、自分が葛藤して理解しようとした過程が大切なのではないかなーと思います。」 ありがとうございます♪ コメント大変参考になります。もう少し、葛藤を続けてみます。お部屋のチェンバロの演奏、聴かせていただきました♪♪♪

☆じゃすみんさん、こんにちは。
ありがとうございます♪ ”宇宙の不思議” ”自然の驚異” など 私たちにははかり知れない何か そういうものに感謝をして敬意をはらってきたものが信仰なのですよね。その考え方からすれば、素晴らしい音楽そのものに、演奏できる機会に、また、聴いてくださる聴衆に 感謝をする。 その気持ちや行為が宗教音楽を理解することのひとつになるのですよね。

☆Ceciliaさん、こんにちは。
クリスチャンというお立場からのコメント、ありがとうございます。
「偉大な音楽には宗教という枠組みを超越した力がある」 はい、私も感じます。米良さんが神道に共感しているというお話、興味深いですね。2月に歌った「Exsultate jubilate」のときも、もやもやしたままの本番で、 3楽の"Alleluja" も迷いのある"Alleluja"に聞こえたことでしょう。自分の中でもう少し納得がいった後で、もう一度挑戦してみたい曲です。

☆ようちゃんさん、こんにちは。
楽器で演奏する場合も、やはり気になりますよね。歌や合唱のように歌詞はなくとも、「神に捧げる音楽」として演奏するのですものね。イギリス滞在中にアマオケに参加させていただいて、そこの何人かと室内楽でも遊んでいました。バッハのカンタータを演奏しているときに、チェリストが「歌詞の意味を理解して歌っているの?」と。私、とっても恥ずかしかったです。だって、彼女は「キリスト教にシンパシーは感じない」って話していたのに、きっと私の歌はよほど空虚なものに聞こえたのでしょうね。ああ、思い出すだけで穴入りものです。そんなこともあつて、まだもやもや中の身なのです。

☆ますみさん、こんにちは。
フォーレのレクイエムといったら、”Pie Jesu” ですよね。このCDは私のwish listですww 1月に森摩季さんのお歌で、この曲を聴きました。とても感動したのですが、私は何に感動しているのだろう? とか、理屈ばかりを考えるかわいくない聴衆です。アメイジング・グレイスも人生を牧師になってやり直した、という有名な牧師さんが作曲した歌でしたよね。そういうことを思い出すと、人生の応援歌として、堂々と歌っていいんだわ!と思ったりもします。 
by スザンナ (2006-04-27 15:59) 

Lavio

森摩季さんのお名前で反応していまいました。
実は、共演したことがありまーす♪プーランクの「スタバト マーテル」です。
指揮が井上道義さんです。でも、もう10年前になります。
by Lavio (2006-04-27 23:57) 

スザンナ

そうですかぁ。そのころもお美しくて~!? 10年前だとまだ、ブレイクする前でしょうか?どちらにしてもうらやましい限りです♪そのときのお話などUpするご予定は?ww
by スザンナ (2006-04-28 00:32) 

メロディーや詩の美しさを噛み締めながら、演奏を楽しめたら幸せですよね^^
美しい詩やメロディーは、聞いていても演奏していても、心から楽しめると思います。聴いたり演奏したりしながら、その詩やメロディーを作った人の気持ちに触れられたらいいなぁ・・・と思います^^
by (2006-04-28 22:24) 

スザンナ

ちびっとさん、こんばんは。
ありがとうございます。あまり難しく考えずに、感じるまま聴いたり、演奏したり・・・それが本道かもしれませんね~
by スザンナ (2006-04-29 23:06) 

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